ロシアにて!

ロシアにて!
 それでは、最後にロシアです。フランスで、宮廷バレエが盛んだった頃にロシアに伝わったようです。1738年に、宮廷にバレエの学校が始めて作られます。この学校は、今でもとても有名なワガノワ・バレエ・アカデミーとして知られる学校になります。フランスから有名なバレリーナを招いて、公演を行ない、バレエが段々とロシアにおいても有名になっていったようです。
 19世紀の後半、フランスではすでにロマンティック・バレエがおとろえていましたが、ロシアでは盛んに踊り続けられていました。しかし、ロシアも変化を遂げ、物語とは全く関係のないダンスシーンを取り入れ、クラシック・バレエ(古典主義のバレエ)という独特のバレエとして発展していきました。
 そしてフランス人の有名な振付家マリウス・プティパの登場です。彼は最初はダンサーとして、ロシアに来たようですが、後に振付家になり、チャイコフスキーと組んで、「眠れる森の美女、くるみ割り人形」、「白鳥の湖」を手がけました。それらは、誰もが知る3大チャイコフスキーの作品として知られるようになり、ロシアにおいてのクラシック・バレエが確立していきました。
 その時、クラシック・バレエの発展とともに技術や衣装が大きく変化しました。まず、技術的に非常に複雑になりました。ポアントの回数もぐんと増え、「白鳥の湖」での有名な32回転もこの時に登場したようです。それに応じて、以前のロマンティック・チュチュではなく、脚を上げやすく動きやすいもの、また脚さばきが良く見えるようにするため、丈の短いクラシック・チュチュが誕生しました。
 現在、バレエと聞いてイメージするものは、こうした歴史の中で誕生しました。